いやいやいや「憲法9条によって攻め込まれない」って言ってる人はいたよ 柄谷行人『憲法の無意識』岩波書店(岩波新書)2016 年

※ 過去記事再掲 

 

ここ数日、『「憲法9条によって攻め込まれない」という主張をしている左翼(リベラル)は存在しない!藁人形論法だ!』という主張がインターネット世界で散見されるが、私数年前本屋でそういう本立ち読みしたよ。今日再読してみたけどやっぱりそういうこと言ってたよ。

Amazon.co.jp: 憲法の無意識 (岩波新書) eBook : 柄谷 行人: 本

 

※以下、引用との主従関係のためにすこし説明を並べます。興味のない人は本を買って引用部分をチェックしてください。

 

さて、この本は『憲法の無意識』というタイトルですが、この「無意識」という単語が意味を持ちます。「無意識」という単語は今や日常会話でも使われる一般化した言葉ですが、元々は精神分析という学説の専門用語です。

19世紀生まれのオーストリア精神科医ジークムント・フロイトは人間の心理の中に、自分では認識することが出来ない「無意識」という概念があるという学説を唱えました。

人間の心理の中には知覚できる「意識」の他に、知覚出来ない「無意識」があり、人間の行動は時に「無意識」によって左右される、という「説」です。意識することが苦痛である欲望は「抑圧」され、無意識より形を変えて「表出」する。

この「説」は現在医学の主流である現在の英米系の精神医学とは必ずしも一致しないので精神科のお医者さんがみんなこの「説」を指示しているというわけではないです。

一方、人文学(文系)の分野ではこの「説」を元に発展していった「分析」の手法があり、現在でも色々なものを「分析」する人たちがいます。

 

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本書において、柄谷は精神分析的な手法を通じて日本国憲法を取り巻く「無意識」を分析しようとしています。なぜ憲法9条があるのか。なぜそれは実行されていない(自衛隊の存在)のか。実行されていないのにもかかわらず、なぜ改憲されていないのか。こうした問いに日本国民の「無意識」の面からアプローチしてみよう、というのが本書の大枠です。

 

先ず、憲法9条が成立したのは、誰にとってもそれが重要なものだと見なされなかったからであるという歴史的な説明がなされ、しかし、にもかかわらず日本国民の「無意識」には深く9条の精神が根付き、たとえばそれは世論調査によって「表出」されているという説明がなされています。

 

次に、9条――パリ不戦条約――国際連盟という流れを遡るとカントという一人の哲学者の思想があることを指摘しています。カントの「永遠平和」は通常の平和(戦争と戦争の間の期間)のそれとは違い、一切の敵対状態がなくなるものであると説明され、カントはそれを諸国家の連合によって創出するという理念が援用されます。

 

このカントの平和論に対してヘーゲルによる批判がありました。つまり、国家間の約束事については、その約束事を破った国家に処罰を加える存在(覇権国家)がないと成立しないという批判です。

 

柄谷はここで、ヘーゲルの批判に対して反論を加えます。処罰する力がなければ平和はあり得ない、としたヘーゲルに対し、「力」は何も軍事力や経済力だけとは限らない、としています。2010年の自身の著作『世界史の構造』を踏まえつつ、多様な「交換様式」を紹介し、「贈与の力」という概念を作っています。

 

柄谷はイエスの教えを「純粋贈与」として取り上げながら、次のように述べています。

 

しかし、ここには、互酬交換の力を越えるような、純粋贈与の力があるのです。「愛の力」といってもいいのですが、それはたんなる観念ではなく、リアルで唯物論的な根拠をもつものです。

私はその例として、憲法九条における、戦争の放棄、武力の行使の放棄を考えてみたいと思います。武力の行使の放棄は、敗戦・被占領の下では普通に生じる事態です。しかし、日本の戦後憲法における戦争放棄は、敗戦国が強制的に武力を放棄させられることとは違います。それは何というべきでしょうか。私は、贈与と呼ぶべきだと、と思います。では、誰に贈与するのか。先に引用し たように、憲法の前文にはこうあります。《 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ》。したがって、九条における戦争の放棄は、国際社会に向けられた「贈与」なのです。このような贈与に対して、国際社会はどうするだろうか。これ幸いと、攻め込んだり領土を奪うことがありうるでしょうか。そんなことをすれば、まさに国際社会から糾弾されるでしょう。したがって、贈与によって無力になるわけではない。その逆に、贈与の力というものを得るのです。それは、具体的には 国際世論の圧力というかたちをとりますが、その圧力は軍事力や経済力とは別のものであり、また、それらを越えたものです。

柄谷 行人. 憲法の無意識 (岩波新書) (Kindle の位置No.1477-1483). 株式会社 岩波書店Kindle 版.